恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

鈴木氏の批判に答えて

恵迪寮自治会は「十人十色」を良しとする集団ではない。 - 恵迪寮中途退寮者の意見 に対し恵迪寮生の鈴木麟太郎氏から批判をいただきました。承諾をいただいたので、以下に全文を転載します。ただし人名を伏字にした箇所があります。

昔から井上君の話はいつも考えさせてくれて勉強になります^^

すみませんが今回は賛同しかねますm( )m

また勉強になったって意味なので、私の事嫌いにならないでくださいね!?

期待すると、痛い目に遭う可能性

魅力の発見が可能性であって保障されていない、まして強制でもないことには、受験生や保護者ならまず気づくでしょう。

違う意志を持つ寮生がたくさんいる

道信氏は「十人十色」と多様性を重視しています。同じ意思を全員で共有するのではなく、多様な意思の多様さを知る方が現実的で、知るためには笑い合い考えをぶつけ合うことが実際有効であった言いたいのだと思います(違ったらごめん!)。

新たな文化を作るのではなく

近年は寮生の多様性を知るための企画(部屋廻り、お出かけしようぜ等)を4月上旬に、寮の芸術や伝統文化を知るための企画(寮歌祭、士幌合宿等)を後半に配置するなど、狙いのある変化が具体化しつつあります。これは「興味のある企画でも知り合いがいないと参加しにくい」という調査結果に基づく試みで、従来の多様さに加えて順序を与えることで寮生相互と伝統文化の2つともの理解を達成する狙いがあります。上手くいくといいですね^^

150人くらいの人だけが恵迪寮で「個性」を発揮して受容されている

印刷物や企画で全寮に紹介されているのは150人程度です。一方で最近では期の終わりや始まり(6月頃と12月頃)に全部屋の活動を振り替えって自己紹介する機関紙(?)が発行されました。これを見ると「特になし」みたいな部屋は1割未満部屋であり、個人が出来事とともに紹介されていました。部屋内規模でも個性が発揮・受容されている裏付けだと思います。1割未満という数字から、先述の「期待すると痛い目に会う可能性」は十分低いんじゃないかと思います。

他人の話を聞くことよりも自分の話をすることを重視する人が、伝統派寮生には多かった。

寮内でよくある話の一つに、「井上君が仕切っていたときの新入生受け入れは素晴らしかった」という話があります。当然井上君の話を委員が聞いて、話し合って実行したことです(よね?)。 毎期そうですがこの委員会は新入寮生のサポートや大学当局との交渉など任務の性質上、寮に詳しくて活動に積極的な人でないと務まりません。

同じ相手でも話を聞いてくれる時と聞いてくれない時がある程に、話し合いは実は難しいものだと思います。特に大人数の会議は話を聞いてもらいづらい(人の話も聞きづらい)ので、やり方は見直した方がいいかもしれませんね。

伝統派寮生には多かった。

この感想には注意しなければなりません。私の感想ではなく事実として、「俺の提案に合わないなら引っ越せ」「代々個室だから自治(企画、会議、掃除、防災等全て)に参加しない。部屋の先輩にそう言われた」という、話し合いに応じてもらえず、生活に支障が出るレベルでの理にかなわない話がまかり通ってきたのは、文中で「個室に追いやられた」と表現された人・部屋でした。

キャラ付けと主従関係の話題

ここでの主従関係とは、嫌でも無条件に従う関係という意味でしょうか。

これは事実じゃなくて感想ですが、寮での主従関係の原因で最も重大なのは、「暴力等による恐怖」あるいは「先輩とは従うべきもの」という固定観念で、キャラ付けではないと感じます。

申し訳ないのですが、××さんや井上君が感じた「キャラ付けによる精神的上位の形成」がどういうことなのか分かりません。私に体験がないためだと思うので、もし失礼でなければ教えてほしいです。

ここから余談。

教養の授業の受け売りですが、暴力を受けて育った人と、自力で暴力を克服した人は、自分の過去を正当化するため、後に暴力をふるう側になりやすいそうです。

また別の受け売りですが、入寮前まで上下関係や慣習、規則に縛られて育った人ほど「先輩や慣習、規則には従わなければならない」と勘違いしてしまうのではないかとも思います。

もしも受験から急に解放されて、急に手にした(=ある意味押し付けられた?)自由に戸惑う人がいるとしたら、クラーク氏が札幌農学校生に教えた、責任ある自由を伝えられたらいいな…と思いました。

というわけで平成遠友夜学校の宣伝!

4月7日(火)18:30より遠友学舎でクラーク精神についての講義を予定しております。変更になったらごめんなさい!

平成遠友夜学校はいつでも無料、予約不要、誰でも聴きに来れます。毎週あるけど1回でも歓迎します。生徒には学生から戦前生まれまでいます。

残念なのは北大入学式前夜祭と同日で1年生が受講できないことですね…(^^;)

批判に答えようと思います。以下、読みやすさのために常体で書きます。失礼をお許しください。

私が

恵迪寮自治会は文化の保存をも任務としている団体である。この文化とは、毎年恵迪寮に集まった寮生が何かをすればそれが文化になるというようなものではない。昔からある寮歌やストームを寮生に実行させて、それを文化とするものである。恵迪寮では人が文化を作るのではなく文化に人をはめ込むのである。文化に馴染めない寮生が現れたときは、それらの寮生と折り合いをつけて新たな文化を作るのではなく、個室に追いやって文化を護持する。

と書いたのに対し、鈴木氏は

近年は寮生の多様性を知るための企画(部屋廻り、お出かけしようぜ等)を4月上旬に、寮の芸術や伝統文化を知るための企画(寮歌祭、士幌合宿等)を後半に配置するなど、狙いのある変化が具体化しつつあります。これは「興味のある企画でも知り合いがいないと参加しにくい」という調査結果に基づく試みで、従来の多様さに加えて順序を与えることで寮生相互と伝統文化の2つともの理解を達成する狙いがあります。上手くいくといいですね^^

と言う。私が言いたいのは、恵迪寮で個室住人が文化を作る主体となっていないことである。部屋まわりには辛うじて個室の半数くらいが参加していたと思うが、あとはなおざりである。「お出かけしようぜ」(新入寮生と上級生が小グループで外出し食事等をする) に参加する個室の上級生は5名もいないし、5月以降個室が企画を主催することはほぼない。

さらに鈴木氏は

印刷物や企画で全寮に紹介されているのは150人程度です。一方で最近では期の終わりや始まり(6月頃と12月頃)に全部屋の活動を振り替えって自己紹介する機関紙(?)が発行されました。これを見ると「特になし」みたいな部屋は1割未満部屋であり、個人が出来事とともに紹介されていました。部屋内規模でも個性が発揮・受容されている裏付けだと思います。1割未満という数字から、先述の「期待すると痛い目に会う可能性」は十分低いんじゃないかと思います。

と続ける。部屋内で個性の発揮・受容が行われていれば良いのか。私はそうは思わない。現状、「食い極などばかばかしい」「理不尽に威張り散らす上級生を軽蔑する」「寮歌など聞くのも嫌だ」という異端の考えを相部屋で安全に主張し続け理解を得ることはできない。「嫌なら個室に行け」で終わりにする上級生があまりに多い。私はこの格差を問題にしているのである。確実に、恵迪寮には公認される価値観・嗜好とそうでないそれがある。

私が

(入寮案内の執行委員長の) 談話に

さらなる自分の魅力に気づけたり、逆に気づいてもらえる。

とある。本来これと対をなすべき「他人の魅力に気づいたり、逆に気づかせてやれる」が書かれていないのは、恵迪寮伝統派の気風を正確に表していると思う。恵迪寮伝統派は、恵迪寮とその文化を愛好する理由に、「恵迪寮では自分に関心を持ってもらえる」ということを挙げる人が多い。私が3年間住んだ感想では、他人に関心を持つことより自分に関心を持ってもらうこと、他人を理解することより自分を理解してもらうこと、他人の話を聞くことよりも自分の話をすることを重視する人が、伝統派寮生には多かった。

と書いたのに対し、鈴木氏は

寮内でよくある話の一つに、「井上君が仕切っていたときの新入生受け入れは素晴らしかった」という話があります。当然井上君の話を委員が聞いて、話し合って実行したことです(よね?)。

毎期そうですがこの委員会は新入寮生のサポートや大学当局との交渉など任務の性質上、寮に詳しくて活動に積極的な人でないと務まりません。

同じ相手でも話を聞いてくれる時と聞いてくれない時がある程に、話し合いは実は難しいものだと思います。特に大人数の会議は話を聞いてもらいづらい(人の話も聞きづらい)ので、やり方は見直した方がいいかもしれませんね。

私の感想ではなく事実として、「俺の提案に合わないなら引っ越せ」「代々個室だから自治(企画、会議、掃除、防災等全て)に参加しない。部屋の先輩にそう言われた」という、話し合いに応じてもらえず、生活に支障が出るレベルでの理にかなわない話がまかり通ってきたのは、文中で「個室に追いやられた」と表現された人・部屋でした。

と述べる。

私は、自治の業務の話をしたつもりはない。日常の居部屋での会話、食事や酒の席で、伝統派寮生が驚くほど自分の話しかしないことを振り返ったのである。

が、恵迪寮での業務の進め方が恵迪寮伝統派のパーソナリティの形成に一役買っている可能性があると気づいた。これについては別エントリで後日書く。新たな気づきのきっかけに感謝する。

さて、私が【恵迪寮自治会は「十人十色」を良しとする集団ではない。】を Facebook に投稿したとき、そこのコメント欄で、「多くの団体と同様、恵迪寮でも、上級生が新入生にキャラづけをして『魅力を発見』してやったことにより精神的主従関係を確立しているのではないか」という指摘があった。これに対し鈴木氏は、

ここでの主従関係とは、嫌でも無条件に従う関係という意味でしょうか。

これは事実じゃなくて感想ですが、寮での主従関係の原因で最も重大なのは、「暴力等による恐怖」あるいは「先輩とは従うべきもの」という固定観念で、キャラ付けではないと感じます。

申し訳ないのですが、××さんや井上君が感じた「キャラ付けによる精神的上位の形成」がどういうことなのか分かりません。私に体験がないためだと思うので、もし失礼でなければ教えてほしいです。

と述べる (人名を伏字にした)。恐れ入りながら、鈴木氏はこの問題に全く無頓着と見える。

ここでの主従関係とは、嫌でも無条件に従う関係という意味でしょうか。

もちろんそうではない。人に「煎餅」だの「鉄道」だの安易な「改め」 (ニックネーム) をつけてキャラをつけてその人を理解した気になっている側と、理解されたことにされてしまっている側と、どちらがものを言いやすいかという問題である。

文書の頭に戻るが、

期待すると、痛い目に遭う可能性

魅力の発見が可能性であって保障されていない、まして強制でもないことには、受験生や保護者ならまず気づくでしょう。

は、文脈を取り違えている。

違う意志を持つ寮生がたくさんいる

道信氏は「十人十色」と多様性を重視しています。同じ意思を全員で共有するのではなく、多様な意思の多様さを知る方が現実的で、知るためには笑い合い考えをぶつけ合うことが実際有効であった言いたいのだと思います(違ったらごめん!)。

多様な意志をあらしめんとする意志、なからしめんとする意志、つまり意志に関する意志、「メタ意志」は合理的に議論することができない。多様な意志をなからしめんとするメタ意志は、「意志」として扱えない。

恵迪寮の利害関係者は誰か

恵迪寮生の我如古氏が恵迪寮残寮者の意見 (http://answer-keiteki-inoue.hatenadiary.jp/) というブログを立ち上げた。私のブログへの記事への賛否を書く予定だそうだ。我如古氏は珍しいほどの自由な精神と研ぎ澄まされた知性を持つ人である。今後どんな対話ができるのか、楽しみだ。

さて、我如古氏は「このブログについて」(http://answer-keiteki-inoue.hatenadiary.jp/entry/2015/03/13/161212) で、

本来、どんな組織でも内部批判は内々で解決するのが良い

と述べている。「恵迪寮執行委員会」発行の「北海道大学恵迪寮自治会規約」という冊子に収録された「北海道大学恵迪寮規約前文」も、

北海道大学恵迪寮は、本規約の定める所に従い、正当に選出された代表によって構成される諸機関によって運営しなければならない。而して、その運営は常に代議員を通じて表明される全寮生の意志に基づいてなされるものであって苟しくも他の意志によって左右されるようなことがあってはならない。

と謳っている。

だが、恵迪寮の利害関係者は寮生だけだろうか。そんなことはない。毎年度、不本意ながら早期退寮する者がいる。彼らは恵迪寮の現在のあり方により損をした人である。北大生のなかで、経済的に困窮しているが、恵迪寮の現状を見て入寮をあきらめた人もいるだろう。彼らもまた利害関係者である。あるいは、体質等の事情で清潔な寮に住まないと生活できない受験生が恵迪寮を見て北大入学をあきらめたとしたら、その人も恵迪寮のあり方により損をしたと言える。つまり、恵迪寮の利害関係者は恵迪寮生以外にたくさんいるのだ。

もちろん、恵迪寮に利害を受ける程度は、寮生が一番大きく、寮外の北大生、北大の教職員、そして北大外の人、というふうにだんだん小さくなってゆくだろう。恵迪寮に関係の薄い人の意見ばかりが通って寮生の都合が無視されるようなことはあってはならない。しかし、少なくとも、議論・発言までは誰でもできる状態が望ましいと私は思うのだ。しかし現在、恵迪寮の問題が北大、そして日本の教育の問題として多くの人に共有されているとは言い難い。恵迪寮について寮外で聞ける意見は、恵迪寮自治会のサイトやブログや Twitter か、掲示板や Twitter での匿名の短文の意見に限られる。私がこのブログを書く目的の一つは、北大構成員全体が恵迪寮について考え発言するための基礎資料を提供することである。だから、このたび我如古氏がブログを始めたことも、私にとっては大いに歓迎したいことである。

恵迪寮伝統派の空想とそれを現実にする個室住人の怠惰

恵迪寮伝統派の多くは新入寮生に食い極・行事参加を強要する。彼らはこの理由に「恵迪寮の文化を好む者がいま自治を支えているから、これからも強要してでも文化を好きにさせねばならない」と述べることが多い。

恵迪寮の文化を好む者でないと自治を保てないだろうか。そんなことはない。寮歌を歌わないと寄宿料の徴収代行ができないだろうか。赤フンを着用しないと代議員会を開催できないだろうか。沼に跳び込まないと掃除ができないだろうか。ストームをしないと議案を書けないだろうか。相撲をとらないと事務室での来客対応ができないだろうか。そんなことがあるわけがない。

しかし、いま現在の恵迪寮だけを考えると、これらの空想が現実になってしまっている。恵迪寮の文化を好まない者は個室に住み、個室住人の多くが掃除もせず、議案の審議にも参加せず、事務室での来客対応もしない。これを見て伝統派は、「やはり恵迪寮の文化を好む者でなければ寮を運営できない」と合点する。そして次の代の新入寮生に食い極・行事参加を強要する。

伝統派の目を覚ますために、個室住人も仕事をすべきだ。個室には情報が入ってきにくいから議案の審議は難しいだろうけど、掃除や事務室での来客対応はすぐできるはずだ。相部屋住人の側も、「恵迪寮の文化は嫌いだが仕事はやるつもりがあるし教わりたい」という層を積極的に受け入れ、文化よりも人を大切にしていっしょに平和に過ごすべきだ。これが恵迪寮を変えるための迂遠だが確実な道だ。

2018年12月12日追記

クレジットを消しました。

飲酒事故防止対策が必要な恵迪寮生、必要でない恵迪寮生

恵迪寮では1995年に急性アルコール中毒で人が一人亡くなっている。その後、寮生は、寮内での飲酒に自主規制を加えるようになった。

自主規制の内容を挙げる。「飲酒事故防止対策特別委員会」という委員会が、自治会の機関として存在する。この委員会が議案を出して、規制を先導する。大きなコンパの前には安全対策についてかなりの時間をかけて話し合う。下級生に「洗面器サイズのカレーを食べ切れ」「沼に跳び込め」「ストームに参加しろ」と強要する上級生でも、酒の強要だけは絶対にしない。寮内での飲み会には原則申請と報告が求められる。

【恵迪寮自治会入会拒否という選択肢 2】(http://blog.hatena.ne.jp/hydrochloride/ex-keiteki.hatenadiary.jp/edit?entry=8454420450087497627) で、自治会に入会すると自治の正の遺産と負の遺産をともに相続することになると書いた。この飲酒事故防止対策は、負の遺産の最たるものだと思う。なぜなら、現行の飲酒事故防止対策は、「その場の盛り上がりのために勢いに任せて行動する恵迪寮生」を念頭に置いているからだ。「洗面器サイズのカレーを食べ切れ」「沼に跳び込め」「ストームに参加しろ」と強要する者に、酒の強要だけはさせないことが制度の目的になっている。言うまでもなく、伝統派以外の恵迪寮生はそういう存在ではない。このような過保護かつ過干渉な飲酒事故防止対策がなくても、自分で安全な飲み会を開催できるのである。飲み会の開催に申請と報告が必要な組織が世の中にどれだけあるかを考えればわかる。

21世紀の寮生であっても、自治会に入会することにより、「1995年に飲酒事故を起こした恵迪寮生たちと同質の存在である」という連続性を背負わされるのである。恵迪寮自治会のサイト (http://keiteki.org/osake.html) の

※飲酒事故防止対策特別委員会とは

1995年9月28日に行われた水産移行生追い出しコンパで起こった飲酒死亡事故から、飲酒死亡事故を防ぎたい、この事故を忘れてはならないという思いが生まれ設立された。その時の決意文の抜粋を下に記します。

事故以降、私達はこのような事故を二度と起こすまいと強く決意しました。 こうした決意の下、事故を引き起こした根本的な原因を追究してきました。その結果、酒に関する知識が文字通り致命的に不足していたことを第一の問題点として認識するに至りました。そして、実行的かつ具体的な事故防止策を講じるために事故防止対策特別委員会を設立しました。また、私達の無自覚な状態を許してきた従来の寮の文化を反省し、自治や生活自体のとらえ返しを行っている最中です。

事故の記憶の風化を招くようなおざなりな反省だけで今回の事故を総括しようとは考えてません。今後どういう寮自治を創っていくべきか、さらにどういう自分であるべきかを、二者を絡めながら模索していき、新たな寮文化を創造して初めて総括になると考えます。今ここで、二度と事故を起こさないという決意に加えて、本書を土台にして新たな寮文化を創造していくことを全寮生で決意します。

というのを読めば、この、連続性を背負わせるという姿勢が、おぼろげながら見えてくるだろう。これを断って大学当局が設置した居室と共用設備のなかで自分たちの生活をゼロから築くという選択、1995年の恵迪寮生は他人だからその責任は負わないという選択も認められるべきである。

2018年12月12日追記

クレジットを消しました。

恵迪寮自治会は「十人十色」を良しとする集団ではない。

恵迪寮自治会発行の『2015恵迪寮入寮案内』に、執行委員長の道信有真氏が談話を寄せている。

人の魅力、満載

恵迪寮では、四百人を超える大学生が共同生活を送っている。四百人全員が十人十色、それぞれの魅力が溢れている。そんな中で、気の合う仲間たちと供に過ごしてみないか? 供に笑い合い、考えをぶつけ合う中で、さらなる自分の魅力に気づけたり、逆に気づいてもらえる。そんな環境がここ恵迪寮にはある。君の魅力をここで存分に発揮してほしい。

だそうだ。この冊子には毎年度執行委員長が談話を寄せる慣例だが、内容は毎年ほぼ同じだ。よって、このエントリは、道信氏の人となりの批評ではなく、恵迪寮自治会執行委員長という職務が構造的に抱える問題、恵迪寮自治会執行委員長の入寮予定者への談話が構造的に抱える問題の指摘である。

入寮予定者がこの談話を読んで「恵迪寮では十人十色の多様な寮生が魅力を発揮しているのだ」とか「恵迪寮では自分の個性を存分に発揮できるんだ」とか期待すると、痛い目に遭う可能性がある。

まず、この談話は執行委員長を務める人個人の見解だ。寮生全体の承認を受けて掲載しているものではない。執行委員長がいかに高い志を持とうとも、それとは違う意志を持つ寮生がたくさんいる。

次に、恵迪寮自治会は文化の保存をも任務としている団体である。この文化とは、毎年恵迪寮に集まった寮生が何かをすればそれが文化になるというようなものではない。昔からある寮歌やストームを寮生に実行させて、それを文化とするものである。恵迪寮では人が文化を作るのではなく文化に人をはめ込むのである。文化に馴染めない寮生が現れたときは、それらの寮生と折り合いをつけて新たな文化を作るのではなく、個室に追いやって文化を護持する。談話には400人とあるが、この400人のうち相部屋住人は150人くらいであり、この150人くらいの人だけが恵迪寮で「個性」を発揮して受容されている。こういう自治会の執行委員長が「十人十色」を唱えても、その意味内容は上記の自治会の姿勢におのずと制約される。

談話に

さらなる自分の魅力に気づけたり、逆に気づいてもらえる。

とある。本来これと対をなすべき「他人の魅力に気づいたり、逆に気づかせてやれる」が書かれていないのは、恵迪寮伝統派の気風を正確に表していると思う。恵迪寮伝統派は、恵迪寮とその文化を愛好する理由に、「恵迪寮では自分に関心を持ってもらえる」ということを挙げる人が多い。私が3年間住んだ感想では、他人に関心を持つことより自分に関心を持ってもらうこと、他人を理解することより自分を理解してもらうこと、他人の話を聞くことよりも自分の話をすることを重視する人が、伝統派寮生には多かった。道信氏がこれに当てはまる人かどうかはわからないが、恵迪寮にはこういう人が多いという話である。

2018年12月12日追記

クレジットを消しました。

恵迪寮の相部屋に住むということ

恵迪寮の相部屋 (寮内の用語では「複数人数部屋」) の住人はよく、

「誰それは相部屋に住むということは、恵迪寮の文化が好きなのだ」

とか、

「誰それは相部屋に住むということは、上級生や下級生と密接に関わりたいのだ」

と考える。あるいは、「新入寮生が自分の住む相部屋に入ってくる」という現象と「新入寮生が自分に弟子入りする」という現象を区別できない寮生がよくいる。

どれも、勘違いだ。【恵迪寮の個室は驚異の発明品だ。】(http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2015/02/27/004019) に書いた通り、相部屋と個室の違いは、居室の割り振りの違いだけ、つまりベッドと机をどこにどう置くかの違いだけというのが本来の線だ。そこに、

・相部屋は自治の業務に熱心。個室は熱心でない。

・相部屋は部屋入りが盛り上がる。個室はそうではない。

・相部屋では部屋員と会話する機会が多い。個室はそうではない。

・相部屋には恵迪寮の文化を実行する人が多い。個室はそうではない。

・相部屋では自治会の行事に参加する人が多い。個室はそうではない。

という現状が乗っかってくる。寮生はこれらの相部屋・個室の性質を比較して、より自分にメリットの大きそうな方に所属しているのだ。相部屋にいるからといって相部屋の現実の全てが好きなわけではない。本来は、個室は自治の業務に参加してはいけないだとか個室は部屋入りを長くしてはいけないという決まりもない。ここを勘違いするところから相部屋におけるハラスメントの多発が始まっているとも思う。さらに、自治会側が個室住人を放置するのもここから始まっている。

恵迪寮自治会に入会しないと実生活に支障が出るか。

【恵迪寮自治会入会拒否という選択肢 2】(http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2015/03/08/224603) においてこの論点を後回しにした。今日はこれを取り上げる。自治会が寮生に提供している機能・サービスごとに論じたい。

自治会の物品 (印刷機や工具)、自治会による物品・食品の販売

使わなければ良い。

寄宿料・光熱水費の徴収

自治会員に対しては執行委員会会計部が徴収業務を行っているが、非自治会員は大学当局の窓口に行けば受け付けてもらえるだろう。

複数人数部屋 (いわゆる相部屋)、居部屋 (寮生何人かで共同使用するリビング)

複数人数部屋を結成する権利、居室を居部屋として使う権利は自治によって獲得したものである。私の価値観では、自治に参加しないならば複数人数部屋には住むべきでない、居部屋を作ったり使ったりすべきではないと考える。しかし、法的、あるいは通念的には「ただ乗り」も問題ないのかもしれない。

郵便の仕分け、宅配便の預かり

現在、寮生あての郵便・宅配便は、すべてが一旦事務室に届く。これに執行委員会が仕分け・預かりを実施している。非自治会員だけこのシステムから抜けるのは難しいだろう。

よって、非自治会員は自治会に郵便の仕分け、宅配便の預かりをしてもらうということになる。これに対しどう対価を支払うか。

A 執行委員会と取り決めて、金銭を支払う。

B 何日かに1回、事務室に詰めて、郵便・宅配便の取り扱いを担当する。

C 掃除や雪かきといった他の労役を提供する。

の三つがあり得ると思う。

A はおそらく執行委員会が断るだろう。執行委員会は寮生全員を自治会に入会させる意志を持つからだ。

B は、寮生全員から同意を得れば可能だ。もし、執行委員以外に自分の郵便・宅配便を触れてほしくないという人がいたら、その人宛の郵便・宅配便が来たらすぐさま執行委員を呼んで取り扱いを頼むという方法をとり得る。現状でも、平日夕方と休日の一般寮生が事務室に詰めているときに郵便・宅配便が来たときは執行委員を呼んで取り扱いを頼んでいる。

C も、おそらく執行委員会は断るだろう。しかし、金銭の授受と違って、労役は勝手に行うことができる。精力的・献身的に働けば、寮内世論を納得させ、「あいつは自治会員でないのに自治会から郵便・宅配便の取り扱いのサービスを受けているずるいやつだ」という批判を打ち消すことができるだろう。

この項の、郵便・宅配便の取り扱いには対価を支払うべきだというのも、私の観念に基づく。法的・通念的には「ただ乗り」が許されるのかもしれない。

居室の壁や窓の補修、ベッドやマットレスの支給

現在、居室の壁や窓の補修、ベッドやマットレスの支給は、自治会が取りまとめて大学当局に要求している。自治会に入会しなかった場合、これは自分で大学当局に要求することになる。大学当局は「自治会に全員が加入しなくても寮での生活は可能であるし、自治会が寮の運営に関わることも可能である」と見解を示して、自治会側の「全員が自治会に加入する必要があるから、自治会に入会しないと入寮できない制度を作ってほしい」という要望を退けている。だから、非自治会員から設備・物品に関する要求が来ても、応じる義務がある。

部屋決め

「部屋」と「居室」は意味が違うことに注意されたい。定義は【恵迪寮の個室は驚異の発明品だ。】(http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2015/02/27/004019) を参照されたい。

現在、寮内のすべての部屋は恵迪寮自治会の「部屋サークル」という機関だということになっている。寮生は入寮時にどの部屋サークルに所属するかをまず宣言し、それから部屋のなかで居室が割り当てられる。つまり、現行の制度では自治会に入会しないと居室が割り当てられない。

しかし、あくまで自治会入会は義務ではないし、大学当局が入寮を許可した者は非自治会員であっても寮の居室に住む権利があるのだから、非自治会員が現れた場合、自治会はこの制度を改正する責任があるはずだ。具体的には、非自治会員に対しては上記の部屋決めとは別枠で大学当局が居室を指定し、その居室は部屋サークルから脱退するという形になるはずだ。

部屋替え

現在、6月・12月に自治会が全寮生を対象に部屋替えを実施している。非自治会員はこれに参加する権利はないだろう。自治会員も、非自治会員の居室には望んでも移れないということになる。

逆に、非自治会員が居室の移動を望むならば、大学当局の許しを得て移ることになるだろう。移動元の居室は部屋サークルに復帰し、移動先の居室は部屋サークルから脱退する。

他の寮生との欲求の調整

現在、自治会は、恵迪寮では補食談話室・トイレをブロック住人で共同使用しており、さらに寮生どうしの距離が近いから欲求が衝突しやすく、調整が必要であり、調整の最良の手段は自治会を結成して話し合いの場を確保することだ、という立場をとっている。しかし、自治会がなくても話し合いはできるはずだ。近くの住人に「君、補食談話室で筋トレをしないでくれ」とか「トイレの掃除は当番制で均等に行いましょう」と声をかけて欲求を調整するのは人間の基本的な機能であって、自治会がなくても達成できる。国立大学の寮の多く (専門用語では「新々寮」という規格の寮) が恵迪寮と同じ構造だが、自治会なしで生活を成り立たせていることを見ればわかることだ。

自治会側は、事務室や図書資料室を全寮生で共同使用しているから、全寮生の欲求の調整のために自治会が必要だし全寮生が加入する必要がある、と主張するだろう。これに対しては、非自治会員は、使わないか、使いたいならば利害関係者と話し合うという選択をとれる。利害関係者と話し合うことは自治会なしでも可能である。極端に言えば、仮に利害関係者が寮生全員であっても、自治会とは別に話し合いの会を設けることが可能だ。この全寮生の話し合いの会は、いまある恵迪寮自治会と酷似したものになるだろうが、文化の保存を任務としないという点が決定的に異なる。そして、この、恵迪寮自治会が、話し合いと決定以外に文化の保存までも任務としている点が、私が現在の恵迪寮自治会に全員が入会する必要がないと考える最大の理由である。