恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

素朴な道徳と民主主義は両立しない

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の続きである。

「きたやま」氏の言う頑張っている人は応援すべきだという主張は、わかりやすい素朴な道徳である。公立中学校の教員が言いそうなことだ。小学生でもわかりそうだ。しかし、こういう日本の素朴な道徳と民主主義は両立しない。いくつか例を挙げる。

民主主義では、誰もが平等に発言権を持つ。誰の発言であろうと、自分で考えて正しくないと思ったときは反論して良い。これは素朴な道徳には反する。長幼の序が日本の素朴な道徳だからだ。素朴な道徳では、長の言うことに幼はみだりに反論してはならない。

民主主義では、批判は推奨される。しかし批判は良くないというのが素朴な道徳である。

民主主義では、為政者と有権者は対等である。しかし、日本人は長い期間将軍や天皇を戴いて生きてきた。為政者は有権者よりも上であり変更できないというのが日本の素朴な道徳である。

民主主義では自己決定が尊重される。しかし、日本の素朴な道徳はパターナリズムを基調とする。子どものことは親が決める、生徒のことは教員が決める、社員のことは私生活に関しても会社が決める、というのが広く行われている。殊に、恵迪寮生の多くが歩む道、すなわち高学歴高所得ではない世帯、公立中学校、自称進学校、北大、中小企業ではそうである。

民主主義では役職にある者やその候補者を応援する義務はない。その者が集団の行く末や自分の生活に不利益であれば、公然と批判して良いし、解職請求や落選運動をしても良い。

入試のある中学校は、入学直後から生徒に民主主義を実行させる。日常の生活の規則も、行事の運営も、生徒に民主的に討議・議決させる。こうした教育の結果、2年生のころには、民主的に正しい過程から素朴な道徳に反する結果が生まれることを体験することが多い。しかし恵迪寮伝統派はこういう民主的な教育とは無緑に育ってきて大学まで来る。このため素朴な道徳と民主主義が対立したとき無思考に素朴な道徳に就いてしまう者、そもそも対立のあることに気づきすらしない者が多い。