恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

「寮生の1人」氏の bot を作った。

2016 年の 4 月ころ、このブログのコメント欄に「寮生の1人」氏が多数コメントした。このたび、同氏の発言を 1 文ずつツイートする Twitter bot を作った。 https://twitter.com/ryoseinohitori にある。

同氏は

念の為申し上げておきますが、私はあくまで寮に住む数百人の学生の内のヒマを持て余した1人なだけであり、寮の要職につくような立場の人間でもないため、間違っても私の言葉尻をとって「恵迪寮生はこんな考え方をしている、こんな言い方をしてくる」などと思われないよう宜しくお願い致します。

私の主張の言葉尻やら枝葉の部分にばかり一々気を取られずにどうか根っこの部分について目を向けて頂ければ幸いです。

と言った。しかし、同氏の文章は言葉尻が多く、読みづらい。今回の bot は 1 文ずつ区切って発信するため、同氏の文章を生で読むよりも言葉尻の影響が少なくなり、読みやすい。

論理的に緊密なつながりを保って書かれた文章の場合、 1 文ずつ切ってしまうと著者の主張を把握し損なうことになる。しかし「寮生の1人」氏の文章は「 A だから B 、 B だから C 、 C だから D ……」といった構造を有する部分は少なく、むしろ同氏の思い込みを克明に言語化した文章という性格が強い。こういう文章の場合は、 1 文ずつ切った方が著者の主張をよく把握できる。

私はこの bot を作ったおかげで、「寮生の1人」氏の主張を前よりもよく理解できた。他の人もこの bot を利用して同氏の主張を検討・理解し、北大そして世界の構成員が恵迪寮についての認識を進歩させることができるよう、願っている。

反響

これまでに、以下のとおり反響があった。

恵迪寮は北大構成員の手から奪われている。

恵迪寮は北大のものである。北大が計画して北大の金銭によって北大が建設したのだから、北大のものである。これに対して恵迪寮は寮生のものだとか寮自治会のものだと主張する人がたまにいるが、そのような事実はない。北大が寮生や寮自治会に対し恵迪寮を譲渡する契約を結んだことはない。

恵迪寮は北大のものなので、恵迪寮のあり方は北大構成員の総意に基づくべきである。これについても、異論は存在する。「寮生の1人」氏は、私がブログを書くこと、ブログを貼り紙で宣伝することについて

ネットや貼紙などで外部から余計な茶々を入れるのではなく、静かに見守るか直接意見を述べに来てほしいと思います。

と述べている。北大構成員の総意によって恵迪寮を運営するつもりがあれば、北大生の意見に対し「余計な茶々」などという言葉は出てこないだろう。また、「通りがかりの1人」氏は

「恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。」とありますので、こんなところで議論すること自体無駄ではないでしょうか。なぜなら井上様は既に恵迪寮とは何ら関係のない部外者ですので。井上様が仰るとおり、偏った考えが恵迪寮にはあるようですが、それを正すのは外部の人間ではなく、内部の人間ではないかと思います。

と述べている。

しかし、彼らは、「恵迪寮は寮生のものであり、寮生の利益のために寮生が運営すれば良い」というのを自明の前提としてしまっている。「恵迪寮のあり方は北大構成員の総意に基づくべきである」という命題を否定する理由を述べていない。つまり、深く考えていない。

理想的には、北大構成員が議会を結成し、討論・議決し総意を形成し、寮に対してそれを執行できると良い。だが、このやり方は莫大な労力・時間を要する。なので、学生・研究者が学問の片手間に、職員が恒常業務の片手間にできるようなことではない。よって、現実的な案ではない。実際にも、現在の北大に議会は設置されていない。

では、現在北大構成員は総意を形成できないのか、自分の意思を恵迪寮の運営に反映できないのか、と言うと、そんなことはない。我々北大構成員は、恵迪寮の情報を得て、自分で考えて、考えた結果を世に問い、考えを修正して、恵迪寮に関する意思を作ってゆくことができる。作った意思は、寮自治会に提案したり、北大当局に具申したりすることができる。特に当局への具申は重要である。理念上、当局は北大全体の利益を代表する責任があるからである。しかも、当局の動きは、恵迪寮のあり方を変える。

前段落の内容について、一つ例を挙げよう。私は、現在の恵迪寮自治会の議決は民主的になされておらず、寮生全員の意思を反映したものとは見做せないと考えている。同様に、現在の恵迪寮自治会の執行委員長は民主的に選出されておらず、寮生全員の意思を反映したものとは見做せないと考えている。よって、当局は恵迪寮自治会を交渉の相手とすべきではないと考えている。私がこう考える根拠は、今後このブログに書いてゆくつもりである。もし読者がそれを読んで正しい主張だと判断したならば、読者は当局に対し、恵迪寮自治会との交渉の席に着かないように求めることができる。その声が大きくなれば、当局はそれを無視できなくなる。もし当局が自治会と交渉しなければ、入寮・在寮の許可、物品の支給、設備の修繕には自治会の意向は汲み入れられず、それらは全く当局の意向によって行われる。そうなれば、自治会は寮生の生活を護る機能を大幅に失う。なので、自治会はあり方の再考・変更を迫られる。

本来北大構成員は恵迪寮に対して前段落のような力を持っている。しかし、現在、その力を奪われている。なぜか。情報の供給が足りないからである。寮自治会も当局も、北大構成員に対しわずかな情報しか開示していない。私はこの情況を変えるつもりである。自分の知っていることをネットに書いてゆくつもりだ。これは、私一人で完結する事業ではない。私の言っていることが正しくないと思ったならば、反論してほしい。主張と反論の反復によって北大構成員が真実に近づいてゆくだろう。つまり、真実により近い認識を持つようになるだろう。現在の寮生やかつての寮生で、寮のあり方が良くないと思った人も、ぜひそれをネットに発表してほしい。

「寮生の1人」氏のコメントを見やすくまとめた。

2016 年 5 月ころこのブログに、「寮生の1人」と名乗る人が多数のコメントを書いた。それをこのたび

https://github.com/idaisukee/ktk/blob/master/comments.md

に見やすくまとめた。恵迪寮生の考えを知るための貴重な資料である。ぜひ、多くの人に読んでほしいと願っている。

恵迪寮の代替可能性

3 月は北大を卒業する人の多い時期だった。卒業とともに恵迪寮を出てゆく人がよく主張するのは、以下のような論理である:

  • 私は恵迪寮の文化に参加することにより、人間を知ることができた。
  • 恵迪寮の文化がなければかかる成長はあり得なかった。
  • よって、恵迪寮の文化はこのまま保存すべきである。

つまり、恵迪寮の文化は代替不可能であるという主張だ。

ここで、寮自治とは何かを考えてみよう。寮自治とは、寮生どうしが交渉して寮にどう住むかを決定し、寮生の感じる住みやすさの総和を最大化する機構だ。これは単に私がそう考えているに留まらず、恵迪寮自治会も自治会規約・議案でこう規定している。

つまり、寮自治とは交渉の積み重ねなのだ。交渉は、互いに譲歩の余地を持ち寄ることで初めて成立する。譲歩の余地が大きければ大きいほど、交渉は大きな成果を生み出し得る。

冒頭に挙げた、恵迪寮の文化は代替不可能であるという主張は、彼・彼女が恵迪寮の文化については交渉において譲歩しないという宣言である。これは、自治の可能性を狭める主張である。

無論、熟考の末に恵迪寮の文化は代替不可能であるという結論に至ることはあるだろう。それを主張するのも自由だ。譲歩できない価値は誰にでもあるだろう。私にもある。しかし、寮自治のなかで、恵迪寮の文化は 代替不可能 である、と主張するならば、恵迪寮の文化は 代替可能 であるという反対意見を聞くことも受け入れなければならない。なぜならば、恵迪寮の自治は、恵迪寮の建物・設備という有限の資源を公平に分配するという使命を担っているし、寮自治においては各自の擁護する価値は全て平等に尊重されるべきだからだ。

私が住んでいた 2011 年から 2014 年の恵迪寮では、恵迪寮の文化は代替不可能だと主張し、しかもこれに反論や疑問が出ると自分のプライドに配慮していないといって怒り出す者がいた。あまつさえ意見の対立する者に罵倒・人格攻撃を繰り出すこともあった。こういうのは自治を行う上での害である。

Facebook の「恵迪寮」グループで投稿を消された

昨日、

つまらない話を無理やり聞かせるシステム、恵迪寮

http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2016/12/10/130753

という記事を書いた。このリンクを Facebook の「恵迪寮」グループ ( https://www.facebook.com/groups/333106963406978 ) に投稿した。すると、 5 分ほどで消された。 3 回やって 3 回ともそうだった。恵迪寮らしい現象だ。

年越し派遣村に行った奴は自分の怠慢を人に責任転嫁している奴だから死ぬべき。俺は田舎の貧しい家から北大に入って立派な人間になったからこれを言う資格がある」

という発言が知られると何かまずいことがあるのだろうか。

こういうふうにショボいのは昔から知っていた。だが、こうまでなりふりかまわずショボいのには驚いた。ちょっとは隠したり正当性があるように粉飾したりするものだと思っていた。

「恵迪寮」グループ管理者の今回の行動は悪手だと、私は思う。「恵迪寮」グループから消されたても、当該エントリは人の目に入るし、私は自分の FB ウォールや Twitter で宣伝する。削除されたことも言う。もしかしたら、寮にいたころのようにこういう威圧が私に打撃を与えられると思っているのかもしれない。私の意見を変えたり、あるいは黙らせたりすることが威圧により可能だと思っているのかもしれない。だがそんなことはない。私はもう寮を出ているので、このような圧力は私の生活に影響を与えない。

2016 年 12 月 20 日追記

このエントリをポストした後、当該グループの管理者とお話しすることができました。

  • 当該グループは意見交換・議論ではなく近況報告・親睦を目的として運営してきた。
  • これまでも上記目的にそぐわないポストは削除してきた。
  • 本件のポストは、個人批判・団体批判としか受け取れなかったため、荒らし行為と見なして削除した。

とお聞きしました。よって、このエントリで、件の削除に威圧の意図を感じる、知られるとまずいことがあるのだろうか、と書きましたが、これは私の誤りでした。お詫びして訂正します。

さらに、私は当該グループに URL を貼るだけで去りましたが、これは私の意図を伝えるに十分でなく、荒らしと判断される材料でした。これについても、反省しています。

しかし、批判だから荒らしだという判断、よって削除するという行為はいまでも「ショボい」と感じます。このことは、当該グループ管理者にもお伝えしました。

2017 年 1 月 2 日追記

件のグループの管理者は 2013 年 3 月に寮を出られた方です。グループのメンバーも、管理者と近い世代の方が多く、多くはもう寮を出られた方がたです。ですので、件のグループでのできごとは寮の現在の状況を直接に反映するものではありません。もっと注意深く書くべきでした。すみません。

つまらない話を無理やり聞かせるシステム、恵迪寮

前回の

恵迪寮伝統派は陰キャラ新入生を餌食にする http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2016/11/20/201920

の続きだ。

恵迪寮に住んでいたころ最も閉口したのは、上級生の話がつまらないことだった。しかし、行事や飲み会には参加を強要された。寮に帰ってきたら特に用事のない限り居部屋にいて上級生とともに過ごせとも言われた。こうして、彼らのつまらない話を不本意に聞いて生活していた。これは私の住んでいた 2011 - 2014 年ころ、相部屋ならばどの部屋でも同じようなものだった。

彼らがどんな話をしてどのようにつまらなかったか全例挙げて詳述する代わりに、一例だけ挙げようと思う。ある上級生は、

年越し派遣村に行った奴は自分の怠慢を人に責任転嫁している奴だから死ぬべき。俺は田舎の貧しい家から北大に入って立派な人間になったからこれを言う資格がある」

と言っていた。社会的弱者が助けを求めているのを見下して自分は強いと確認しなければならないとは、どれだけ心が弱いのだろうか。このような心の弱い人と話すのはおもしろいことではなかった。ここまでひどいのはさすがに恵迪寮といえども稀だったが、他の上級生も概ね余裕がなく自分の話しかしないので、やはり一緒にいて退屈だった。

これらの人は、恵迪寮の改革には警戒し抵抗していた。それはそうだ。恵迪寮が変われば自分の話が聞かれなくなるおそれが大きいのだから、恵迪寮が変わるのはこの人たちには一大事だ。

こうして恵迪寮の文化は強い安定性を誇っていた。北大の繁栄にも人類の福利にも寄与しないであろう安定性である。

恵迪寮伝統派は陰キャラ新入生を餌食にする

以前の記事 ( http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2016/09/10/211234 ) に、「学部生」氏からコメントが寄せられた:

初めまして。思うところがあったのでコメントさせて頂きます。

まだ雪も積もってる去年の冬(春?)ごろに赤ふんどしで震えながら、1人で恵迪寮の案内板を持たされてメンストに立ってる寮生をたまに見かけました。

部外者にはわかりませんが、恵迪寮生的には面白いと思ってるのでしょうか?傍から見ると完全にイジメで、ただただかわいそうでした…。

最近恵迪寮生と話す機会が多いのですが、この人変だな、距離感おかしいなと思うことが多いです。寮生活で洗脳されたのかな…と思ってしまいます。(もちろん、中にはマトモな方もいますが、少数です。)

どうして恵迪寮生は総じて人との距離感おかしいのだろうと思い、恵迪寮の生活を調べていたらここにたどり着きました。正直こんな生活してたらそりゃ洗脳されるよな、と思いました。

コメント欄を見る限りバッシングが多いようですが、僕は恵迪寮内部の情報を知ることができて良かったです。

恵迪寮生は人との距離感のおかしい人が多い、という話である。私も同感だ。

そうなる原因として、氏の洞察のとおり、入寮してからの洗脳でそういう人ができあがるという面はある。だが、そもそもそういう人を見つけ出して恵迪寮の文化・生活に強くコミットさせるという習性が、恵迪寮伝統派にはある。どういうことか、説明しよう。私が住んでいた 2011 - 2014 年ころの話になる。

人と話すのが苦手だったり、人との距離を測るのが苦手な新入生、世間で言う「陰キャラ」の新入生が入寮してくると、伝統派は大喜びで迎えていた。そして、彼・彼女が寮内で目立てるよう、お膳立てしていった。具体的には、

  • 複数人数部屋 ( 相部屋 ) に入れる。
  • インパクトのある改め ( ニックネーム ) をつける。
  • いつもマフラーを巻いている、とか、いつも煎餅を食べている、とか、鍵のことを「じょっぴん」と呼ぶ、とかいうキャラ設定を考える。
  • 上記のキャラ設定を実行させる。
  • 行事の最中に突然奇声を出させる。本人が渋るならば、代理で本人のそばで奇声を出して注目を集める。

といったことをしていた。

これをされた新入生は、最初は戸惑いつつも、次第に、生まれて初めて目立つ、生まれて初めて人から注目されるという経験に感激し、恵迪寮への忠誠を固くしてゆく例が多かった。無論、不本意にこの待遇を受け、 4 ・ 5 月のうちに退寮してゆく者もあった。

このやり方には確実に利点があった。自治会の業務に無給で長時間参加する者を確保できる点である。

また、現在の社会では「コミュニケーション能力」だとかと言ってあまり親しくない人と内容の薄い雑談を続ける能力が過剰に重視されている。この能力がないばかりに社会のなかで不当に低い評価を受けている人がいるのは問題だ。そういう人が恵迪寮では正当に評価にされ得るとしたら、それは良いことだと、私も思う。

反面、大きな問題もあった。以下、挙げてゆく。

このように選ばれた新入生が変な選民意識を抱いていた

上のように伝統派級生に気に入られた新入生が変な選民意識を抱くことが多かった。いわく、

  • 恵迪寮の文化は自分を相手にするから正しい
  • 恵迪寮の外の文化は自分を相手にしないから正しくない

という構造で思考する者が、毎年生まれ続けていたと私は感じる。そして、自分を相手にするとかしないとかいうみっともない評価基準を、次第に本人も忘れていって、単に

  • 恵迪寮の文化は正しい
  • 恵迪寮の外の文化は正しくない

という構造だけを保持する例が多かった。ここから生まれるのは、

  • 恵迪寮の文化に順応しない者は正しくないから配慮しなくて良い

という開き直りだった。

逆選抜となっていた

上で述べたように、くだらない雑談が苦手なばかりに世で評価されていない人はいるはずである。だが、実際、恵迪寮にはそういう人は少なかった。単に見識が低かったり、能力が低かったり、粗暴だったり自己中心的だったり、自己管理ができていなかったりする人、そのため寮の外では孤立してしまうのだろう、と思われる人が多かった。上に述べた「かわいがり」の結果、そういう人をわざわざ選抜して寮自治に参加させるという状態になっていた。このため、恵迪寮の自治は非効率で進歩の遅いものだった。

人に対するがさつな当たりが常態化していた

上に述べたような「かわいがり」をうれしいと感じ、疑いを持たない人が寮運営の中心となっていた。これらを嫌だと感じる人は寮の運営に参加しなくなっていた。これらの 2 派が話すこともないので、是正されてゆくこともなかった。これも恵迪寮の住みづらさの大きな原因だった。