恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

恵迪寮伝統派は陰キャラ新入生を餌食にする

以前の記事 ( http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2016/09/10/211234 ) に、「学部生」氏からコメントが寄せられた:

初めまして。思うところがあったのでコメントさせて頂きます。

まだ雪も積もってる去年の冬(春?)ごろに赤ふんどしで震えながら、1人で恵迪寮の案内板を持たされてメンストに立ってる寮生をたまに見かけました。

部外者にはわかりませんが、恵迪寮生的には面白いと思ってるのでしょうか?傍から見ると完全にイジメで、ただただかわいそうでした…。

最近恵迪寮生と話す機会が多いのですが、この人変だな、距離感おかしいなと思うことが多いです。寮生活で洗脳されたのかな…と思ってしまいます。(もちろん、中にはマトモな方もいますが、少数です。)

どうして恵迪寮生は総じて人との距離感おかしいのだろうと思い、恵迪寮の生活を調べていたらここにたどり着きました。正直こんな生活してたらそりゃ洗脳されるよな、と思いました。

コメント欄を見る限りバッシングが多いようですが、僕は恵迪寮内部の情報を知ることができて良かったです。

恵迪寮生は人との距離感のおかしい人が多い、という話である。私も同感だ。

そうなる原因として、氏の洞察のとおり、入寮してからの洗脳でそういう人ができあがるという面はある。だが、そもそもそういう人を見つけ出して恵迪寮の文化・生活に強くコミットさせるという習性が、恵迪寮伝統派にはある。どういうことか、説明しよう。私が住んでいた 2011 - 2014 年ころの話になる。

人と話すのが苦手だったり、人との距離を測るのが苦手な新入生、世間で言う「陰キャラ」の新入生が入寮してくると、伝統派は大喜びで迎えていた。そして、彼・彼女が寮内で目立てるよう、お膳立てしていった。具体的には、

  • 複数人数部屋 ( 相部屋 ) に入れる。
  • インパクトのある改め ( ニックネーム ) をつける。
  • いつもマフラーを巻いている、とか、いつも煎餅を食べている、とか、鍵のことを「じょっぴん」と呼ぶ、とかいうキャラ設定を考える。
  • 上記のキャラ設定を実行させる。
  • 行事の最中に突然奇声を出させる。本人が渋るならば、代理で本人のそばで奇声を出して注目を集める。

といったことをしていた。

これをされた新入生は、最初は戸惑いつつも、次第に、生まれて初めて目立つ、生まれて初めて人から注目されるという経験に感激し、恵迪寮への忠誠を固くしてゆく例が多かった。無論、不本意にこの待遇を受け、 4 ・ 5 月のうちに退寮してゆく者もあった。

このやり方には確実に利点があった。自治会の業務に無給で長時間参加する者を確保できる点である。

また、現在の社会では「コミュニケーション能力」だとかと言ってあまり親しくない人と内容の薄い雑談を続ける能力が過剰に重視されている。この能力がないばかりに社会のなかで不当に低い評価を受けている人がいるのは問題だ。そういう人が恵迪寮では正当に評価にされ得るとしたら、それは良いことだと、私も思う。

反面、大きな問題もあった。以下、挙げてゆく。

このように選ばれた新入生が変な選民意識を抱いていた

上のように伝統派級生に気に入られた新入生が変な選民意識を抱くことが多かった。いわく、

  • 恵迪寮の文化は自分を相手にするから正しい
  • 恵迪寮の外の文化は自分を相手にしないから正しくない

という構造で思考する者が、毎年生まれ続けていたと私は感じる。そして、自分を相手にするとかしないとかいうみっともない評価基準を、次第に本人も忘れていって、単に

  • 恵迪寮の文化は正しい
  • 恵迪寮の外の文化は正しくない

という構造だけを保持する例が多かった。ここから生まれるのは、

  • 恵迪寮の文化に順応しない者は正しくないから配慮しなくて良い

という開き直りだった。

逆選抜となっていた

上で述べたように、くだらない雑談が苦手なばかりに世で評価されていない人はいるはずである。だが、実際、恵迪寮にはそういう人は少なかった。単に見識が低かったり、能力が低かったり、粗暴だったり自己中心的だったり、自己管理ができていなかったりする人、そのため寮の外では孤立してしまうのだろう、と思われる人が多かった。上に述べた「かわいがり」の結果、そういう人をわざわざ選抜して寮自治に参加させるという状態になっていた。このため、恵迪寮の自治は非効率で進歩の遅いものだった。

人に対するがさつな当たりが常態化していた

上に述べたような「かわいがり」をうれしいと感じ、疑いを持たない人が寮運営の中心となっていた。これらを嫌だと感じる人は寮の運営に参加しなくなっていた。これらの 2 派が話すこともないので、是正されてゆくこともなかった。これも恵迪寮の住みづらさの大きな原因だった。