恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

委員会の仕事の半分は子どものお守り

恵迪寮の自治会の委員会 ( 入寮銓衡委員会、防災特別委員会、飲酒事故防止特別委員会、寮歌普及委員会等 ) に入ると、週に 3 回ほど会議があった。会議は、定時に始まることはまずなかった。 20:00 開始予定だったら、次のような進行をたどることがほとんどだった:

20:00 会議の場所に 1 人か 2 人現れる。

20:05 会議の場所に委員長が来る。

20:10 会議の場所に委員長 + 5 人が集まる。この 5 人が、残りの委員を部屋まで呼びに行く。棟が A 棟から E 棟までの 5 棟あるので、 1 人 1 棟で手分けする。

20:25 委員の 8 割程度が集まる。会議を始める。

20:40 最後の 1 人が現れる。

上級生を部屋まで呼びに行っても、会議に出たくないと言われることが多かった。言い分は、

「寒いからこたつから出たくない」とか

「きりの良いところまでゲームを進めたい」とか

「遊びに行きたい」とか

「自分がいなくても議事に支障はないだろうから自分抜きでやってもらいたい」

といったものだった。

こういうのを、人間味のある現象として評価する人もいた。あるいは、こういう上級生をなだめるのを楽しいコミュニケーションととらえる人もいた。私も私で、必死に意味を見出そうとして、

( 寮での私生活と自治会の業務を融和させるとこういう形態になるんだろうか ) とか

( だれかが自分を部屋に呼びに来るまで動かないというのは、変化しやすい状況のなかで柔軟に時間を使うためのシステムなんだろうか )

と考えたりもした。

だが結局は、私はこれを受け入れられなかった。会議をやるというのは、前に理性によってやるかやらないか検討して、やると決めたことではないか。それを、そのときの感情でやりたくない等と言うのは、だらしないと私は感じた。私は上級生のこういう姿を見て、彼らを尊敬しなくなった。こういう上級生をなだめて会議に呼ぶのは子どものお守りのようなばかばかしい仕事だと思った。また、集中すれば 1 時間で会議を終えられるのに上のようなやり方で 1.5 時間をかけるのは、時間がもったいないと思った。

私はその後入寮銓衡委員長になった。このときは任期を通じて定時集合・定時開始を徹底した。だが、その後この姿勢が受け継がれたかは知らない。

怒る上級生

私がいたころ、恵迪寮で好かれる上級生は、怒らない上級生だった。これの反動として、

  • 怒らないで好かれるのは当たり前、怒ってかつ好かれてこそ一流
  • 怒られることは人間成長上必要

という考えで怒る勢力があった。

たまらないのは、こんな理由で怒られる側である。怒らず怒られず自治会の業務を遂行できればそれで良いではないか。業務が遂行できれば、人間成長などどうでも良いことではないか、と私は考えていた。

このブログについて

著者は、 2011 年 4 月に入寮して、 2014 年 5 月に退寮しました。最新の情報にはキャッチアップしていません。

このブログには、私の意見を書いています。誰もが認める真実を書いているわけでもなく、たくさんの人の意見を総合して書いているわけでもありません。恵迪寮に関するネット上の情報源には、このブログのほか、

等があります。これらの情報源が相反する主張をしていることも多いです。いずれかの情報源に書いてあることを鵜呑みにせずに、できる限り多くの主張を読み、恵迪寮に関しいかなる態度をとるかを総合的に判断することを勧めます。

北大当局は世論に弱い

f:id:hydrochloride:20160421213525j:plain

北大当局が、非公認サークルに対し届出を求めている。

学内外から「非公認サークル団体」に関する相談等を受け付けた際、連絡先がわからず対応に苦慮しております

だそうだ。

北大当局は弱腰であると私は思う。そんな相談を受けても、「非公認だから知らない」で打ち切るのが合理的な対応のはずだ。「非公認」とはそういう意味ではないのか。

だが、北大当局はこういう対応をすることが多い。北大当局が従うのは理ではなく、多数の声だ。学生や教員が理に基づいて主張しても頑として聞き入れぬことが多く、多数の声にはあっという間に屈服することが多い。

そして、ここ数年の情勢を見る限り、恵迪寮自治会は当局に簡単に屈服する。だから、恵迪寮を変えるには、世論に訴え、当局を動かすのが有力な手段である。

恵迪寮自治会にヒルトン合宿について聞いてみた

恵迪寮自治会がやっている FB アカウントに、ヒルトン合宿について聞いてみた。 https://www.facebook.com/keitekiryo/posts/464361183771103 返事はまだもらえていない。このアカウントは今日新しいポストをしていたので、私の質問はたぶん読んでもらえている。

恵迪寮生は恵迪寮を変えられな (い|かった)

恵迪寮自治会の代議員会で、

  • 監査委員が「いまのこの議論は過去の議論を反映していないから無効」と宣言すること
  • 代議員が「議案および議案提出者の主張が過去の議論を反映していないから投票を棄権する」と宣言すること

が、私の在寮中 ( 2011 年 4 月 - 2014 年 5 月 ) しばしばあった。ほとんどの場合代議員会は定足数ぎりぎりで開かれていたから、棄権が 1 人でも出ると議案が承認されない状況だった。よって、議案提出者としては、棄権は何としても避けねばならないものだった。

「代議員会での議論は過去の議論を反映せねばならない」、この規範自体は私も正しいと思う。一回の会期中に同じ議論を繰り返すことは避けるべきだし、前回までに出た質問・意見を無視して議案を提出するのも避けるべきだろう。

だが、この規範が、寮自治会の議論の幅も狭めている。昔、

「寮自治を存続させるためには、寮自治を存続させようという意志をまず毎年の新入生に伝達せねばならない。そのために、新歓行事をせねばならない」

という議案が承認されている。この議案は、私の退寮時点ではまだ有効だった。

そのため、

「いまのような激しい新歓行事をやらなくても、自治のメリットを冷静に説明すれば寮自治は存続できるのではないか」

という意見は、あまり顧みられることがなかった。新歓の姿を変えず続けたいと思っている側にとっては、

「その意見は過去の議論を反映していないから無効」

と言ってしまった方が代議員会が紛糾することなく進むし、「過去の議論を反映していない」議論には無効を宣告する方が恵迪寮自治会の論理では正統性を持つからだ。恵迪寮自治会の論理では、「過去の議論を反映していない」議論は、それを相手にすること自体が、過去の議論への冒涜なのである。

彼らは、

「自治の存続のために新歓行事をせねばならない」

という議案に重大な瑕疵がない限りはこの議案を尊重せねばならない、と主張した。毎年新入生の約 5 % が入寮から 2 ヶ月以内に、恵迪寮の文化を理由に退寮するという現実は重大な瑕疵だと私は思う。だが、それは新歓のやり方が悪いせいであって、議案自体の瑕疵ではない、というのが彼らの主張だった。

さて、私は恵迪寮の最新の情報は知らない。もしかしたら、

  • 「代議員会での議論は過去の議論を反映せねばならない」という規範
  • 「寮自治を存続させるためには、寮自治を存続させようという意志をまず毎年の新入生に伝達せねばならない。そのために、新歓行事をせねばならない」という議案

、大きな二つの規範は、もう廃止されているかもしれない。もしそうならば、このエントリは、「昔そんな時代があった」という単なる昔話である。

しかし、こうした大きな規範が、 2 年間で変わることは稀だ。変わっていない可能性が強いと私は思う。だとしたら、恵迪寮を変える力を持つのは、寮生ではなく北大当局だ。北大当局は世論には弱い。だから私は恵迪寮についての意見はブログ等の手段で世界一般に発信する必要があると考える。

現在、恵迪寮自治会は、寮生全員が入会することが前提とされている。建前上は、どんな意見も対等に扱われ、どんな意見も実現の機会が平等に与えられるから寮生全員を入会させることに正当性がある、とされている。だが、現実には上記のように、優先される意見とされない意見がある。これは重大な問題である。