恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学学生・恵迪寮中途退寮者の井上大輔が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

選挙を正しく行えない集団、恵迪寮自治会

先日、国政選挙の投票があった。ここで、恵迪寮自治会の選挙を見てみよう。

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2013 年秋の執行委員長選挙では、飲酒事故防止対策特別委員会の委員長が立候補した。それに対し、飲酒事故防止対策特別委員会が「選挙応援居酒屋」を企画し、そのビラで自治会員に「スゴいぞ我らが委員長ッ!!」「候補者を皆さんで応援するべく……お集まり下さい」と呼びかけた。自治会の公式の機関が、特定の候補者を応援することを自治会員に呼びかけたわけだ。自治会の選挙管理委員会も事前にこの居酒屋企画を知っていたが、止めなかった。

中学 3 年の公民を理解していれば、こういうことをしてはいけないというのはわかるはずなのだが、どういうわけかそれがわからない大学生の集団が、恵迪寮では自治をしていた。現在のことは知らない。現在のことは自治会に聞いてください。

2017 年 11 月 16 日追記

「知っていました」を「知っていた」に訂正しました。

共謀罪を知るために恵迪寮を知る。

共謀罪法案が成立した。今後、知性のある者から順に日本を脱出し、日本は滅ぶだろう。

国会が共謀罪法案を可決したのは、我々日本国民が民主主義を実践してこなかった結果だ。そして、共謀罪の存在によって民主主義の実践はますます困難になるだろう。日本国憲法の制定から 70 年、民主主義は日本に根づかなかったのだ。

私はこの < 根づかなさ > を生で目撃した。どこでか? 恵迪寮でだ。

北大生の大半は、公立中学校と、学区で 2 番の高校 ( いわゆる自称進学校 ) の出身だ。これらの学校では、民主主義とはかけ離れた原理によって教育を行っているようだ。彼/彼女らの語る彼/彼女らの母校の常識は、私のごときリベラルな教育を受けてきた者にとっては驚愕するものだ。

北大は勉強熱心な学生が多い。彼/彼女らは大学入学後間もなくして、彼/彼女らの母校の常識が世界の常識とは異なることに気づく。

だが、恵迪寮伝統派はそうではない。恵迪寮では、行事も寮運営の業務も反知性的なものなので、これらは北大生のなかの学力最底辺層を惹きつける。この層が恵迪寮伝統派になる。彼/彼女らは勉強をしない。本や新聞を読まない。公立中学校と自称進学校で擦り込まれた常識を無批判に護持し、先輩の話を無批判に受け入れる。そうして寮自治に参加し、日本国憲法の保障する諸権利を寮生から奪うような寮運営をする。不勉強のまま大学を卒業し、北大のブランドでどこかに就職し、職場の上長と同調圧力に従順を貫いてゆく。後輩には「社会に出たらどうのこうのだ」と偏狹な常識を説いて生きてゆく。

公立中学校、学区で 2 番の高校、北大と進んでどこかに就職する層は、日本社会の中堅を担う層だと言って良いだろう。この中堅の層に、上位層すなわち私立・国立中学校と学区で首位の高校と異なることを教える教育、憲法とも民主主義とも無縁なところで生きさせる教育が、日本から民主主義を追い払った要因だろうと私は見ている。少なくとも要因の一つではあるだろうと見ている。

恵迪寮伝統派の姿は、北大生・北大出身者の平均値や中央値ではない。むしろ外れ値である。だからこそ、中堅への教育の悪いところが濃縮されて、観察しやすい。それに、北大生一般とは違って恵迪寮伝統派は自治をするので、人権感覚のなさがよく見える。

日本は滅ぶ。どのようにして滅んだかを書き残すのが、滅ぶ国の民が歴史に対してなし得る貢献だと私は考えている。日本はどのようにして民主主義を拒絶したか、どのようにして共謀罪を法体系に組み込んだか、そしてどのようにして滅んだかを記録して歴史に献呈すれば、後世の人が同じ失敗をしないために参考にできる。私はこの目的のためにも、恵迪寮で見たものをこのブログに書くつもりだ。

部屋の移動が昔よりしやすくなったらしい。

に、「現寮生」氏から

入寮銓衡委員に言うと部屋を交換するために奔走してくれますよ。

というコメントがあった。真実かどうかはわからないが、真実だとしたら良いことである。このブログにこうしたコメントをいただけるのはたいへんありがたく、北大構成員と世界の利益にもなることだ。

「寮生の1人」氏の bot を作った。

2016 年の 4 月ころ、このブログのコメント欄に「寮生の1人」氏が多数コメントした。このたび、同氏の発言を 1 文ずつツイートする Twitter bot を作った。 https://twitter.com/ryoseinohitori にある。

同氏は

念の為申し上げておきますが、私はあくまで寮に住む数百人の学生の内のヒマを持て余した1人なだけであり、寮の要職につくような立場の人間でもないため、間違っても私の言葉尻をとって「恵迪寮生はこんな考え方をしている、こんな言い方をしてくる」などと思われないよう宜しくお願い致します。

私の主張の言葉尻やら枝葉の部分にばかり一々気を取られずにどうか根っこの部分について目を向けて頂ければ幸いです。

と言った。しかし、同氏の文章は言葉尻が多く、読みづらい。今回の bot は 1 文ずつ区切って発信するため、同氏の文章を生で読むよりも言葉尻の影響が少なくなり、読みやすい。

論理的に緊密なつながりを保って書かれた文章の場合、 1 文ずつ切ってしまうと著者の主張を把握し損なうことになる。しかし「寮生の1人」氏の文章は「 A だから B 、 B だから C 、 C だから D ……」といった構造を有する部分は少なく、むしろ同氏の思い込みを克明に言語化した文章という性格が強い。こういう文章の場合は、 1 文ずつ切った方が著者の主張をよく把握できる。

私はこの bot を作ったおかげで、「寮生の1人」氏の主張を前よりもよく理解できた。他の人もこの bot を利用して同氏の主張を検討・理解し、北大そして世界の構成員が恵迪寮についての認識を進歩させることができるよう、願っている。

反響

これまでに、以下のとおり反響があった。

恵迪寮は北大構成員の手から奪われている。

恵迪寮は北大のものである。北大が計画して北大の金銭によって北大が建設したのだから、北大のものである。これに対して恵迪寮は寮生のものだとか寮自治会のものだと主張する人がたまにいるが、そのような事実はない。北大が寮生や寮自治会に対し恵迪寮を譲渡する契約を結んだことはない。

恵迪寮は北大のものなので、恵迪寮のあり方は北大構成員の総意に基づくべきである。これについても、異論は存在する。「寮生の1人」氏は、私がブログを書くこと、ブログを貼り紙で宣伝することについて

ネットや貼紙などで外部から余計な茶々を入れるのではなく、静かに見守るか直接意見を述べに来てほしいと思います。

と述べている。北大構成員の総意によって恵迪寮を運営するつもりがあれば、北大生の意見に対し「余計な茶々」などという言葉は出てこないだろう。また、「通りがかりの1人」氏は

「恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。」とありますので、こんなところで議論すること自体無駄ではないでしょうか。なぜなら井上様は既に恵迪寮とは何ら関係のない部外者ですので。井上様が仰るとおり、偏った考えが恵迪寮にはあるようですが、それを正すのは外部の人間ではなく、内部の人間ではないかと思います。

と述べている。

しかし、彼らは、「恵迪寮は寮生のものであり、寮生の利益のために寮生が運営すれば良い」というのを自明の前提としてしまっている。「恵迪寮のあり方は北大構成員の総意に基づくべきである」という命題を否定する理由を述べていない。つまり、深く考えていない。

理想的には、北大構成員が議会を結成し、討論・議決し総意を形成し、寮に対してそれを執行できると良い。だが、このやり方は莫大な労力・時間を要する。なので、学生・研究者が学問の片手間に、職員が恒常業務の片手間にできるようなことではない。よって、現実的な案ではない。実際にも、現在の北大に議会は設置されていない。

では、現在北大構成員は総意を形成できないのか、自分の意思を恵迪寮の運営に反映できないのか、と言うと、そんなことはない。我々北大構成員は、恵迪寮の情報を得て、自分で考えて、考えた結果を世に問い、考えを修正して、恵迪寮に関する意思を作ってゆくことができる。作った意思は、寮自治会に提案したり、北大当局に具申したりすることができる。特に当局への具申は重要である。理念上、当局は北大全体の利益を代表する責任があるからである。しかも、当局の動きは、恵迪寮のあり方を変える。

前段落の内容について、一つ例を挙げよう。私は、現在の恵迪寮自治会の議決は民主的になされておらず、寮生全員の意思を反映したものとは見做せないと考えている。同様に、現在の恵迪寮自治会の執行委員長は民主的に選出されておらず、寮生全員の意思を反映したものとは見做せないと考えている。よって、当局は恵迪寮自治会を交渉の相手とすべきではないと考えている。私がこう考える根拠は、今後このブログに書いてゆくつもりである。もし読者がそれを読んで正しい主張だと判断したならば、読者は当局に対し、恵迪寮自治会との交渉の席に着かないように求めることができる。その声が大きくなれば、当局はそれを無視できなくなる。もし当局が自治会と交渉しなければ、入寮・在寮の許可、物品の支給、設備の修繕には自治会の意向は汲み入れられず、それらは全く当局の意向によって行われる。そうなれば、自治会は寮生の生活を護る機能を大幅に失う。なので、自治会はあり方の再考・変更を迫られる。

本来北大構成員は恵迪寮に対して前段落のような力を持っている。しかし、現在、その力を奪われている。なぜか。情報の供給が足りないからである。寮自治会も当局も、北大構成員に対しわずかな情報しか開示していない。私はこの情況を変えるつもりである。自分の知っていることをネットに書いてゆくつもりだ。これは、私一人で完結する事業ではない。私の言っていることが正しくないと思ったならば、反論してほしい。主張と反論の反復によって北大構成員が真実に近づいてゆくだろう。つまり、真実により近い認識を持つようになるだろう。現在の寮生やかつての寮生で、寮のあり方が良くないと思った人も、ぜひそれをネットに発表してほしい。

「寮生の1人」氏のコメントを見やすくまとめた。

2016 年 5 月ころこのブログに、「寮生の1人」と名乗る人が多数のコメントを書いた。それをこのたび

https://github.com/idaisukee/ktk/blob/master/comments.md

に見やすくまとめた。恵迪寮生の考えを知るための貴重な資料である。ぜひ、多くの人に読んでほしいと願っている。

恵迪寮の代替可能性

3 月は北大を卒業する人の多い時期だった。卒業とともに恵迪寮を出てゆく人がよく主張するのは、以下のような論理である:

  • 私は恵迪寮の文化に参加することにより、人間を知ることができた。
  • 恵迪寮の文化がなければかかる成長はあり得なかった。
  • よって、恵迪寮の文化はこのまま保存すべきである。

つまり、恵迪寮の文化は代替不可能であるという主張だ。

ここで、寮自治とは何かを考えてみよう。寮自治とは、寮生どうしが交渉して寮にどう住むかを決定し、寮生の感じる住みやすさの総和を最大化する機構だ。これは単に私がそう考えているに留まらず、恵迪寮自治会も自治会規約・議案でこう規定している。

つまり、寮自治とは交渉の積み重ねなのだ。交渉は、互いに譲歩の余地を持ち寄ることで初めて成立する。譲歩の余地が大きければ大きいほど、交渉は大きな成果を生み出し得る。

冒頭に挙げた、恵迪寮の文化は代替不可能であるという主張は、彼・彼女が恵迪寮の文化については交渉において譲歩しないという宣言である。これは、自治の可能性を狭める主張である。

無論、熟考の末に恵迪寮の文化は代替不可能であるという結論に至ることはあるだろう。それを主張するのも自由だ。譲歩できない価値は誰にでもあるだろう。私にもある。しかし、寮自治のなかで、恵迪寮の文化は 代替不可能 である、と主張するならば、恵迪寮の文化は 代替可能 であるという反対意見を聞くことも受け入れなければならない。なぜならば、恵迪寮の自治は、恵迪寮の建物・設備という有限の資源を公平に分配するという使命を担っているし、寮自治においては各自の擁護する価値は全て平等に尊重されるべきだからだ。

私が住んでいた 2011 年から 2014 年の恵迪寮では、恵迪寮の文化は代替不可能だと主張し、しかもこれに反論や疑問が出ると自分のプライドに配慮していないといって怒り出す者がいた。あまつさえ意見の対立する者に罵倒・人格攻撃を繰り出すこともあった。こういうのは自治を行う上での害である。