恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

恵迪寮伝統派とは誰か

恵迪寮の負の面 - 恵迪寮中途退寮者の意見 に対し、我如古氏から批判をいただきました。

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少しづつ答えてゆきます。読みやすさのため常体で書きます。失礼をお許しください。

私が

非伝統派の意思が寮運営に反映されないよう、また伝統派が簡単な手順で権力を握れるよう巧妙に設計されているのが恵迪寮の自治制度であり、数の上では 1/3 ほどの伝統派が主流派となっている。伝統派の横暴はしばしば目に余る。

伝統派は恵迪寮の「教育的意義」を強く主張する。寮で他人と共同生活をすることで貴重な「人間的成長」が得られるというのが彼らの言い分である。この帰結として、自治会は寮生が当事者どうしの相談で居室を移ることを制限している。これが自由になると嫌いなもの・嫌いな人から逃げるようになって「人間的成長」の妨げになるのだそうだ。しかしこの結果、立場の弱い者・運の悪い者は窓が破れ、壁が崩れ、寝台が壊れ、マットレスに穴があき、暖房が動かないような居室に押し込められて移動できなくなっている。

と書いたのに対し、我如古氏は

伝統派でくくるな。こういった主張に井上氏は出会ったことがあるのだろうが、上記の「数の上では1/3」の皆が皆こう思っている訳がない。

と述べる。批判への回答として、まずこの問題を扱いたい。なぜならば、私のこのブログの本質に関わる問題だからだ。

恵迪寮自治会は、恵迪寮では寮生間の欲求が衝突しやすいが、自治制度によって寮生間の対等な話し合いの機会を確保すれば、寮生全員が最も納得できる結果を実現できる、と主張して、自治をすべき根拠としている。ところがこの理想は実現できていない。恵迪寮の生活に満足している人とそうでない人の格差が激しいのである。満足できない人のうち最も甚だしい人は、中途退寮者、特に早期退寮者である。

上で述べた現実が、私がこのブログを書く動機である。対等な立場からの話し合いが理念として掲げられているのに、それを阻害する要因がいま存在することを、恵迪寮生に、北大生に、北大教職員に、そして世の中の人に知ってほしいのだ。

話し合いの阻害の要因として最も大きいのは、「寮生の平穏な生活よりも恵迪寮の伝統の方が大事だ」と考える勢力だと、私は観察の結果、考える。私はこの勢力を「伝統派」と呼ぶ。そして今般、我如古氏から、伝統派というくくり方は粗雑であると批判を受けている。

現在この瞬間、恵迪寮生は400人程度いる。1983年にいまの恵迪寮の建物ができ、恵迪寮自治会が自治権を奪還してから恵迪寮に住んだ人を合計すれば、膨大な数になるだろう。その一人ずつをつぶさに観察することはできないし、その観察結果をつぶさに述べたら、読者も、何が本質かを見出す前に疲れ切ってしまうだろう。だから抽象化して観察して、そこから得られる知見を述べるのである。「伝統派」とは、方法的な呼称である。それゆえ、扱う主題によって「伝統派」の定義は少しづつ異なる。入寮銓衡における「伝統派」、飲酒事故防止対策における「伝統派」、行事に対する「伝統派」、この三つの「伝統派」は、違う人間の集団を指すことになるだろう。

だから私は、以下を自分に課したいと思う:

・自分に有利な結論を引き出すために「伝統派」の定義を恣意的に変更することをしないよう、十分気を付ける。

・「抽象化のし過ぎである」「抽象化のしなさ過ぎである」「くくり方が現実と乖離している」という指摘には耳を傾ける。

・「抽象化によって得られたその結論とは違い、個別にはこういう事象が存在する」といった報告を切り捨てずに、耳を傾ける。

さて、私は、

伝統派は恵迪寮の「教育的意義」を強く主張する。寮で他人と共同生活をすることで貴重な「人間的成長」が得られるというのが彼らの言い分である。この帰結として、自治会は寮生が当事者どうしの相談で居室を移ることを制限している。これが自由になると嫌いなもの・嫌いな人から逃げるようになって「人間的成長」の妨げになるのだそうだ。しかしこの結果、立場の弱い者・運の悪い者は窓が破れ、壁が崩れ、寝台が壊れ、マットレスに穴があき、暖房が動かないような居室に押し込められて移動できなくなっている。

と考えている。今回我如古氏から批判を受けても、なお同じ考えである。これについては別エントリで書く。

2018年12月12日追記

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