恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

「郷に入りては郷に従え」の恵迪寮自治

恵迪寮自治会発行の『2015恵迪寮入寮案内』に、新歓実行委員長の濱斉之氏が巻頭言を寄せている。

「20年弱の経験なんてものは

一瞬で打ち砕かれる。

郷に入っては郷に従え!

まじ Go- Go- やね。」

だそうだ。この冊子には毎年度新歓実行委員長が巻頭言を書く慣例になっている。どの年度の巻頭言も、内容はこの濱氏のものに近い。この巻頭言は恵迪寮自治会が新入寮生に示す二つの体質を、正確に表現している。

1 経験の否定

恵迪寮自治会は新歓行事として、新入寮生を塗料まみれにしたり、寮の裏の沼に飛び込ませたり、全裸でゲームをさせたり、芸をさせたり、「ホテルでの合宿」と騙して連れ出して農村の公民館に連れて行き、ヒッチハイクで帰って来させる等をする。これらの意味として、自治会内では、「新入寮生がそれぞれ持っている常識を解除する」ということが言われることが多い。濱氏が「20年弱の経験なんてものは/一瞬で打ち砕かれる」と言っているのがそれだ。

常識を解除すること自体は、私も意義のあるものだと思う。常識とは、悪く言えば偏見である。寮自治会は、寮生間の利害の対立、寮生と大学当局の利害の対立を対話により解決するための機関である。偏見は、対話の障害になるから、新入寮生の偏見を解除することは、寮自治会の目的達成に有効である。例えば、「年長者と年少者の利害が対立したときは年長者が常に優先されるべきだ」「学校の先生の言うことには黙って従うべきだ」「国立大学の学生は国の税金で勉強をしているのだから、政府の方針に異議を唱えるなどとんでもない」といった偏見は、対話の障害になるだろう。寮生全員が、自分の偏見をできるだけ減らして、ゼロベースから合理的な議論ができれば、問題の解決が早いだろう。

ところが恵迪寮では、怒涛の新歓で新入寮生に偏見を捨てさせるのはいいが、その後上級生の偏見を刷り込むことに執心する。結果、寮内の対話は偏見まみれでなかなか前へ進まない。業務の合理化の提案があっても、従前のやり方に固執する。恵迪寮伝統派は「恵迪寮の伝統は長く続くものだから尊重せよ」「私たちは恵迪寮の伝統によって素晴らしい人間になったので伝統と私たちを尊重せよ」と人に要求するが、新入寮生が大学に入るまでの20年間に培ってそれなりの誇りや愛着を抱いている感覚や良心は踏み潰して平気な顔をしている者が多い。

2 「郷に入りては郷に従え」

恵迪寮自治会は、寮生間の利害を対話により解決する前提として、「欲求に優劣はない」という命題を高らかに謳う。優劣はないから、寮内で欲求と欲求が衝突したときは対話により解決すべきだ、という論理である。これ自体は素晴らしい思想だ。寮の外では非常識とか少数派という理由で冷遇されている主張でも、寮内では合理的であれば認められる可能性がある。

だが結局寮内で大手を振るって横行しているのは、「郷に入りては郷に従え」の一言である。新入寮生がどんな欲求を主張しても、この一言で一蹴される例が極めて多い。もはや何のために対話による寮運営を標榜しているかわからないほどである。

以上が恵迪寮の自治の建前と実態である。恵迪寮自治会とは、全ての新入寮生に恵迪寮の常識を植え付け、全ての新入寮生に「郷に入りては郷に従え」を強制するための巧妙なシステムである。このシステムがいかに巧妙かは、過去の記事、特に

【恵迪寮でのマウンティングとしての食い極】(http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2015/02/26/130337) や、

【恵迪寮の個室は驚異の発明品だ。】(http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2015/02/27/004019) 、

【部屋替えもまた恵迪寮の文化を守る装置だ。】(http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2015/02/28/221542)

を参照されたい。

2018年12月12日追記

クレジットを消しました。