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恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学学生・恵迪寮中途退寮者の井上大輔が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

恵迪寮でのマウンティングとしての食い極

恵迪寮では、新入寮生に「食い極 (くいごく)」をさせる。恵迪寮自治会のウェブサイト (http://keiteki.org/isyokuju.html) にも、

喰い極

~極とは、~で限界を攻めること。つまり食い極とは、食事で自分の胃袋に挑戦すること。恵迪寮と言えば食い極、といっても過言でない。ほかにも辛さ極や甘極とか言ったりするかもしれない。 コツは、早く食べる、水を飲みすぎない、逃げない。要はガッツだ!

と記載がある。恵迪寮には個室と相部屋 (恵迪寮用語では「複数人数部屋」) があるが、相部屋に入った新入寮生は、ほぼ確実に上級生 (恵迪寮用語では「上の年目」) から食い極を強要される。

食い極をする・させる理由として、恵迪寮の伝統派は「食物の大切さを知り感謝の心を養うため」「己の限界に挑む向上心・勇気を培うため」「食い極は恵迪寮の伝統なので新入寮生にも引き継ぐ責務があるから」と述べることが多い。真剣にそう考えて取り組んでいる人もいる。

しかし、食い極にはもう一つの面、実際的な機能がある。マウンティングである。新入寮生に対し上級生および恵迪寮の体制への服従を強いることである。こう考える根拠を以下述べる。

第一に、食い極では上級生が負けることがほぼない。上級生は既に胃が拡張しているうえ心理的にも慣れているので、新入寮生よりも有利に戦える。さらに、店で何をどれだけ注文するかも、ほとんどの場合上級生が決める権限を持つのである。

ここで、「負ける」「戦える」という言葉を用いた。「大げさな」と思うかもしれない。しかし、恵迪寮ではこれが現実である。「誰それは怯まずに超大盛りの何々を注文したから見どころがある」「誰それは超大盛りの何々を、箸を止めずに食べきったから偉い」といったことが、恵迪寮ではよく語られる。傍から見れば笑ってしまうような論理だが、こうした論理が本当に説得力を持ってまかり通ってしまうのが、閉鎖空間としての恵迪寮の恐ろしさである。

第二に、食い極により上級生への恐怖心を植え付けることもできる。注文の前に「カレーは好きだからたくさん食べられますよ」だとか、食べ切った後に「大盛りで有名な店と聞いて緊張しましたが、意外と楽でしたね」等と口を滑らせた新入寮生に対し、想定を超えるような量を食わせて自分の迂闊さを思い知らせることも、よく行われるのである。私の知っている伝統派の寮生は、「自分は新入寮生のとき『アイスは大好きで、いくらでも食べられます』と口を滑らせたら、20本のアイスを食わされた。こういう教育を受けたおかげで、自分の言ったことに責任を持つ人間になれた」と、誇らしげに語っていた。そういう風に受容する人もいるだろうが、上級生の前で自由にものを言えなくなる新入寮生が現れることも、自然に想定できることである。

第三に、新入寮生に対する食い極では、上級生がお金を払う。いわゆるおごりである。これにより、寮外でも常識として語られる、「おごってもらったものは残さず食べるのが礼儀」という徳目を、食い極にも適用できることになる。ただし寮外でこれが言われるときは、苦しませるために食わせるときでもなく、吐くまで食わせるときでもないのだが。

「おごってもらったものは残さず食べるのが礼儀」という徳目を食い極に流用することで、「食い極で食べ物を残す新入寮生は礼儀をわきまえていない」という結論になる。新入寮生が「ならばお金は自分で出す」と言っても、上級生は「おごるのは愛情だから受け入れてもらいたい」とか「新入寮生がお金を出さないのは恵迪寮の決まりだ」「恵迪寮ではいままでずっとこうしてきたのだから、そんな勝手は許さない」という言い分で断る。これによって、食い極の拒絶は、世間の常識への挑戦である、という構図ができあがる。現実に、食い極をしようとしない新入寮生に対しては上級生が集団で「しょっぱい」(若者言葉で「臆病である」「気概に欠ける」の意味) と囃し立てる、食べ物を残した新入寮生には上級生が集団で礼儀知らずとして叱咤し反省を迫るといったことが行われている。

新入寮生対世間という構図を作り上げ、ある新入寮生対ある上級生という一対一の対峙を避けるのは、恵迪寮の文化の継承、体制の存続のための巧妙な知恵である。一対一の勝負を続けていけば、上級生よりも能力の高い新入寮生が現れたとき、上級生が負け、文化・体制への服従を強いることができなくなるからである。

だが、いま恵迪寮は、経済的に困っている北大生が毎春150名入寮し、初めの3ヶ月でその1割が退寮することが通例となっている。しかもそのうち半分ほどが恵迪寮の文化を理由に挙げる。さらに、寮内には「誰もが安心して住める恵迪寮に変えてゆきたい」という意見の者もいるが、こういう意志をも、いま述べた巧妙な仕組みが押しつぶしている。結果、対等な立場での意見交換による、民主的な意思決定を阻害している。この現状を踏まえれば、こういう「知恵」は残念ながら「悪知恵」と呼ばざるを得ない。

(井上大輔北海道大学3年・恵迪寮中途退寮者。シェア・転載歓迎。)