恵迪寮中途退寮者の意見

北海道大学卒業者・恵迪寮中途退寮者の井上修一が書いています。恵迪寮での文化の押し付け、多発するハラスメント、民主主義を無視した運営に辟易して退寮しました。

恵迪寮生の思考の可視化

情報の質を評価する規準に、「外的一貫性」と「内的一貫性」がある。

外的一貫性とは、その情報と他の情報のつながりが緊密で、矛盾がないことである。

内的一貫性とは、その情報内部の命題どうしのつながりが緊密で、矛盾がないことである。

ここで、東京大学教養学部学生自治会の『大学の自治』 ( http://www.geocities.jp/todaijichikai/daigakujichi.html ) を読んでみよう。『東京大学憲章』『確認書』という過去の合意を正確に引用したうえで、自分の考えを述べている。言っている内容も、憲法学の標準的な教科書や、「 AERA 」「世界」「科学」といったリベラルな論調の雑誌とそう変わらない。

中学・高校・大学教養の勉強は、自分の思想の外的一貫性・内的一貫性を高める訓練という性質を持つ。東大の学生は中学・高校・大学教養の課程で熱心に勉強するだろうから、自ずと思想の外的一貫性・内的一貫性は高くなる。さらに、東大の学生は将来教科書や新聞・雑誌を書く側に回ることも多いので、東大生の考えることと、世間で主流となる考えは、やはり近いものになる。

外的一貫性・内的一貫性の高い情報は、「わざわざ全部聞くまでもない」という特徴がある。教科書や新聞・雑誌と似た内容なので、さらに、情報の内部の論理的なつながりが強いので、一部を聞けば全体を予測できる。『大学の自治』では原子力発電所・成田空港・沖縄米軍基地・派遣切り・戦争責任についての記述はないが、彼らがこれらの問題についてどう考えているかは、だいたい予測ができるのではないだろうか。

これに対して、恵迪寮生においては、思考の外的一貫性・内的一貫性が低い。残念ながら、恵迪寮生は、中学・高校・大学教養の勉強で手を抜く者が多い。自分の頭蓋の外で何が起きているか、何が言われているかを調べようとしない者が多い。自分の思想の端と端が矛盾していても気にしない者も多い。

具体例としては、このブログへのコメントで、「寮生の1人」氏 ( http://ex-keiteki.hatenadiary.jp/entry/2016/06/25/151123 ) は、このブログは私の意見発信の姿勢に問題があるため、「姿勢寮生の自尊感情をむやみに傷つければ名誉毀損罪に、事実の摘示が無ければ侮辱罪などに抵触する可能性があります」と主張しているが、名誉毀損罪・侮辱罪についてこのような解釈をしている人は世のなかで多くはないだろう。

また、北大を出て教科書や新聞・雑誌を書く側になる人も少ないため、北大生の思想というのは、自然、世の中の主流とは遠いものになることが多い。主流の考えがなぜ貴重かといえば、厳しい批判・検討に耐えた末に主流の位置にあるからである。それゆえ主流の考えを引き継ぐか乗り越えるか努力した思想というのはまた価値を持つ。主流の考えを理解せず調べもせずに思いつきで唱えられた説というのは、たいてい、質が低い。

恵迪寮生の思考は外的一貫性・内的一貫性が低いため、一部を聞いただけでは全体がわからない。だから、なんらかの方法で全部あるいは多くの部分を可視化してゆく必要がある。可視化しなければ北大の構成員が恵迪寮をどうすべきかを理性的に把握して考えて判断することができない。私がこのブログを書く目的の一つは、恵迪寮生の思考の可視化である。

委員会の仕事の半分は子どものお守り

恵迪寮の自治会の委員会 ( 入寮銓衡委員会、防災特別委員会、飲酒事故防止特別委員会、寮歌普及委員会等 ) に入ると、週に 3 回ほど会議があった。会議は、定時に始まることはまずなかった。 20:00 開始予定だったら、次のような進行をたどることがほとんどだった:

20:00 会議の場所に 1 人か 2 人現れる。

20:05 会議の場所に委員長が来る。

20:10 会議の場所に委員長 + 5 人が集まる。この 5 人が、残りの委員を部屋まで呼びに行く。棟が A 棟から E 棟までの 5 棟あるので、 1 人 1 棟で手分けする。

20:25 委員の 8 割程度が集まる。会議を始める。

20:40 最後の 1 人が現れる。

上級生を部屋まで呼びに行っても、会議に出たくないと言われることが多かった。言い分は、

「寒いからこたつから出たくない」とか

「きりの良いところまでゲームを進めたい」とか

「遊びに行きたい」とか

「自分がいなくても議事に支障はないだろうから自分抜きでやってもらいたい」

といったものだった。

こういうのを、人間味のある現象として評価する人もいた。あるいは、こういう上級生をなだめるのを楽しいコミュニケーションととらえる人もいた。私も私で、必死に意味を見出そうとして、

( 寮での私生活と自治会の業務を融和させるとこういう形態になるんだろうか ) とか

( だれかが自分を部屋に呼びに来るまで動かないというのは、変化しやすい状況のなかで柔軟に時間を使うためのシステムなんだろうか )

と考えたりもした。

だが結局は、私はこれを受け入れられなかった。会議をやるというのは、前に理性によってやるかやらないか検討して、やると決めたことではないか。それを、そのときの感情でやりたくない等と言うのは、だらしないと私は感じた。私は上級生のこういう姿を見て、彼らを尊敬しなくなった。こういう上級生をなだめて会議に呼ぶのは子どものお守りのようなばかばかしい仕事だと思った。また、集中すれば 1 時間で会議を終えられるのに上のようなやり方で 1.5 時間をかけるのは、時間がもったいないと思った。

私はその後入寮銓衡委員長になった。このときは任期を通じて定時集合・定時開始を徹底した。だが、その後この姿勢が受け継がれたかは知らない。

怒る上級生

私がいたころ、恵迪寮で好かれる上級生は、怒らない上級生だった。これの反動として、

  • 怒らないで好かれるのは当たり前、怒ってかつ好かれてこそ一流
  • 怒られることは人間成長上必要

という考えで怒る勢力があった。

たまらないのは、こんな理由で怒られる側である。怒らず怒られず自治会の業務を遂行できればそれで良いではないか。業務が遂行できれば、人間成長などどうでも良いことではないか、と私は考えていた。

このブログについて

著者は、 2011 年 4 月に入寮して、 2014 年 5 月に退寮しました。最新の情報にはキャッチアップしていません。

このブログには、私の意見を書いています。誰もが認める真実を書いているわけでもなく、たくさんの人の意見を総合して書いているわけでもありません。恵迪寮に関するネット上の情報源には、このブログのほか、

等があります。これらの情報源が相反する主張をしていることも多いです。いずれかの情報源に書いてあることを鵜呑みにせずに、できる限り多くの主張を読み、恵迪寮に関しいかなる態度をとるかを総合的に判断することを勧めます。

北大当局は世論に弱い

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北大当局が、非公認サークルに対し届出を求めている。

学内外から「非公認サークル団体」に関する相談等を受け付けた際、連絡先がわからず対応に苦慮しております

だそうだ。

北大当局は弱腰であると私は思う。そんな相談を受けても、「非公認だから知らない」で打ち切るのが合理的な対応のはずだ。「非公認」とはそういう意味ではないのか。

だが、北大当局はこういう対応をすることが多い。北大当局が従うのは理ではなく、多数の声だ。学生や教員が理に基づいて主張しても頑として聞き入れぬことが多く、多数の声にはあっという間に屈服することが多い。

そして、ここ数年の情勢を見る限り、恵迪寮自治会は当局に簡単に屈服する。だから、恵迪寮を変えるには、世論に訴え、当局を動かすのが有力な手段である。

恵迪寮自治会にヒルトン合宿について聞いてみた

恵迪寮自治会がやっている FB アカウントに、ヒルトン合宿について聞いてみた。 https://www.facebook.com/keitekiryo/posts/464361183771103 返事はまだもらえていない。このアカウントは今日新しいポストをしていたので、私の質問はたぶん読んでもらえている。